英語教育とは

2013年5月20日

日本では小学校から英語教育が必修になっているというのを最近知りました。低学年から始めようと言う声もあるようです。妻の知り合いには三歳から英会話に通っている子もいるようです。英語教育は早ければ早いほど、長ければ長いほどいいのでしょうか?

自分はアメリカの大学、大学院を卒業し、その後7年以上、日本人のいないアメリカ企業で働いているので、それなりに英語は出来るのだと思います。15年前に渡米した時は英語をマスターするのに、それなりに苦労をしたのでしょうが、今となっては全ていい思い出です。日本では人並みに受験英語を勉強しましたが、留学経験はなく、最初に海外に行ったのも19歳の時、ヨーロッパでした。今の若い子に比べたら、遥かに井の中の蛙でした。そんな自分でも、今は不便なく英語での生活をしているから驚きです。

個人的な経験から言えば、英語は必要な時にマスターすればいいんじゃないのかなと思います。キーワードは「必要な時に」ではなく「マスター」です。あえて、勉強とは言いませんでした。日本では英語は語学、勉強とういう認識が強いですが、こちらに住んで実感するのは、英語は生きていく為の道具です。それ以上でもそれ以下でもありません。ボキャブラリーの豊富さや発音の違いはあるにしろ、老若男女、色々な人種の人がこちらでは日々使っている道具です。ちょっと発音が違うからとか、言い回しがおかしいからといって指摘された経験はほとんどありません。こちらは一生懸命相手が何を話しているのか理解し、相手はこちらを必死で理解してくれようとする。合っている、間違っているとかはありません。それが英語です。

日本ではことさら形から入ろうとします。文法、読解、様々な検定(英検、TOEFL、TOEIC)など、むしろそれほど重要でないことに時間と労力を注がせます。自分は英検は受けたことはありません。TOEICも受けたことはありません。TOEFLは大学入学の時にだけ。アメリカ企業で働くのに「君TOEIC何点?」などと聞かれたことはもちろんありません。日本の会社が漢字検定の成績を聞かないのと一緒かもしれません。

小学校での英語義務教育化も、受験英語の延長ならあまり効果はないと思います。自分の息子はアメリカで生まれ育っているので、英語の問題はありませんが、もし我が子を日本で育てるとしたら、英語よりもまずは人前で自己主張、自己表現をする能力、他人の多様性を認識、理解する能力、人の目を見て会話する能力、下らない会話やジョークにも柔軟に対応できる能力、挨拶やお礼を忘れず口にする能力、人見知りをせず誰とでもうち解けられる社交性など、世界に出てむしろ英語以上に大切な能力をまず養わせられるよう努めると思います。英語はその後でもマスターできますが、逆はまず無理です。

英語が必要になるということは、世界の人々とコミュニケーションをするということです。文法を一つ間違えるより、目を見ず下を向いて話をしたり、語尾を濁したりする方がよっぽど汚点です。むしろ片言しか話せなくても、ユーモアに富み、自分をはっきり表現し、心底理解を試み、伝えたいと頑張れる子の方が、世界の人から好かれるし、また上達も早いものです。よく光景を見ましたが、関西人がこちらで上手に溶け込んでいるのはそういった語学能力以外の気質からかもしれません。

英語が苦手な親はせめて我が子には英語をと思うのは理解できます。ただ英語が出来るようになった今の自分から一言申し上げるとすれば、自分を厳しく、礼儀正しく、社交的に、そして自己主張できるよう育ててくれた両親に感謝しております。なぜなら自分が今アメリカでやっていけるのは、英語が話せるからではなく、そういった基本的な能力を小さい時に養ってもらったからです。